吉野誠の作品

吉野誠さんのプロフィール

            吉野誠さんは1933年に広島県比婆郡西城町で生まれた。
              1944年5月に一家で開拓団として満州へ移住、1946年7月に
            帰国した。

            日本敗戦後、満州の西城開拓団本部にとどまり帰国の機会を待っ
            た。この間、飢えや病気、中国人からの仕返しやソ連兵の襲撃な
            どに耐えた。12歳だった吉野さんを支えたのは夜空に輝く月の光
            であった。

戦後は、武蔵野美術大学を卒業した後、広島県内の中学校で美術を教えた。開拓団は侵略の片棒をかつぐことであったという深い反省に立ち、絶対に戦争をしてはならないことを訴えてきた。
油絵とアルミを使った作品を制作して、平和を希求するメッセージを発信してきた。自由美術協会会員である。

安野への中国人強制連行問題でも、9年にわたった裁判を傍聴し、中国人原告たちが法廷で証言する様子をスケッチして支援を続けた。

吉野さんが制作したアルミアートの中から、「開拓団の戦中・戦後(3点組)」と「慟哭の安野(中国人強制労働)」を紹介する。

「開拓団の戦中・戦後(3点組)」は、吉野さんの戦後の生き方の原点となった開拓団の体験に基づく作品である。

「慟哭の安野(中国人強制労働)」は、裁判の原告であった呂学文さんが、1945年当時、安野で過酷な労働に耐えながら夜空の月を眺めて故郷を想ったことを詠んだ詩に、吉野さん自身の思いをこめて制作した作品である。

開拓団の戦中・戦後(3点組)
A 招かざる客

B 望郷の月・開拓団最後の時

慟哭の安野(中国人強制労働)

縦146㎝×横187㎝