アジア・太平洋戦争の末期、日本では多くの働き手が兵士として狩り出され、国内の労働力が大幅に不足した。日本政府と企業は約70万人の朝鮮人を強制連行したが、それでも足りない労働力を補うために、企業は中国人を使うことを繰り返し政府に要請した。その結果、政府は1942年に中国人を「移入」することを閣議決定した。
日本軍は、主に河北省や山東省などの華北地方で兵士や農民などの中国人を捕まえ、中国各地に設置した収容所に集めた後、日本に連行した。日本では、鉱山労働、港湾荷役、発電所や飛行場建設など全国135カ所の事業場で、危険な重労働に従事させた。日本敗戦までに約4万人の中国人を強制連行し、虐待や栄養失調、厳しい労働のために約7千人を死亡させた。
中国人強制連行は、日本政府・日本軍・日本企業が一体となって実行した犯罪行為である。
敗戦後、日本政府(外務省)は戦勝国である中国政府に対して説明する必要に迫られ、中国人を使役した35企業に命じて135事業場から『事業場報告書』を提出させ、これを基に中国人強制連行に関する報告書(『外務省報告書』)を作成した。しかし、これらの報告書はその後所在不明となり、外務省は「報告書は全部焼却されて外務省に存在しない」と述べて、戦後一貫して中国人強制連行を認めない立場をとってきた。
1993年5月、東京華僑総会は長年保管してきた『外務省報告書』と各事業場の『事業場報告書』を公表した。翌94年6月、政府はようやく外務省が作成した報告書であることを認め、強制連行であったことを公式に認めて遺憾の意を表明した。戦後49年目のことである。