実態解明
1992年1月、安野の受難者・張廉さんが手記を河北大学に送り、大阪の在日中国人を経て広島に届いた。4月、広島市民が訪中し、河北大学の協力を得て青島で安野の受難者・遺族から話を聞いた。これが、日中共同調査の始まりである。
面会した受難者の中に被爆者が含まれていたことから、訪中団は帰国後、市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」を結成し、被爆者支援と安野への中国人強制連行の実態解明に取り組んだ。河北大学に依頼して、1992年から96年まで受難者・遺族を探す調査を行なった。調査の手がかりとなったのは、西松組が戦後作成した『事業場報告書』の中の360人の名簿であった。名簿には、名前、年齢、住所、死亡年月日、入獄年月日などが記載されている。
河北大学では劉宝辰さんと夫人の王彦玲さんが随時調査を行なったほか、春節の休みに学生が参加して大規模な調査を2回行なった。名簿に記載された名前と住所は、家族に難が及ばないように故意に本当の名前と住所を言わなかった場合や誤記されたものも少なくなかった。加えて、調査範囲が広く、交通手段や宿泊施設がないところもあり、調査は困難をきわめた。しかし4年間で、受難者69人、遺族96家族を探し出す成果をあげた。
河北大学から調査報告を受けて、広島から随時訪中し、受難者32人、遺族5家族を訪ねて詳細な聞き取りを行なった。
調査で明らかになった受難者の証言と西松組『事業場報告書』の記載内容を重ね合わせると、安野への中国人強制連行の全体像がくっきり浮かびあがった。