和解までの道のり 裁判

裁 判

安野の被害者360人を代表して受難者3人(呂学文、宋継堯、邵義誠)と遺族2人(楊世斗、曲訓先)が原告となり、1998年1月、西松建設の強制連行・強制労働の企業責任を問うて広島地裁に提訴した。弁護団は、山田延廣弁護士を団長とし足立修一弁護士、山口格之弁護士、中島憲弁護士の4人で組織された。広島地裁は原告全員の本人尋問を行ない、さらに目撃者2人(潘洪元、栗栖薫)と学者3人(劉宝辰、田中宏、杉原達)の証人尋問を行なって、十分に審理を尽くした。2002年7月の判決は原告たちの被害事実を詳細に認定し、西松建設の不法行為と安全配慮義務違反を認定したが、時効などを理由に原告が敗訴した。

控訴審は、花岡事件を和解に導いた新美隆弁護士が弁護団長に就任した。弁護団は地裁判決を基礎にして、時効の壁を崩すために全力を傾けた。弁護団は勝訴を目指す一方で、和解による解決を裁判所に求めた。2003年7月に広島高裁は和解を勧告し、和解協議が始まった。しかし、西松建設は「中国人強制連行の事実はなかった」と主張して譲らず、2004年2月に和解協議は決裂した。同年7月、広島高裁(鈴木敏之裁判長)は原告逆転勝訴の判決を出した。時効の主張は権利濫用にあたると判断して西松建設に賠償を命じた。日本各地でたたかわれた15件の中国人強制連行事件の中で、高裁レベルで原告が勝訴したのはこの1件だけである。

西松建設が上告したため、裁判は最高裁に移った。2007年3月、原告2人(宋継堯、邵義誠)が最高裁で意見陳述を行ない公正な判決を求めたが、同年4月、最高裁は原告逆転敗訴の判決を出した。中国人の賠償請求権は日中共同声明で放棄されたと判断した不当判決だった。しかし最高裁は、判決末尾に「西松建設を含む関係者が被害者の被害の救済に向けた努力をすることを期待する」という異例の付言をつけて、問題解決を促した。ところが西松建設は、「付言は裁判官の意見にすぎず、対応しかねる」と主張して交渉にも応じなかった。