日本人の証言 谷キヨコ

≪ 谷キヨコ(1924年生まれ)≫

<こん棒をもっていた日本人>
中国の人が来たときには、薄物のカ-キ色の服を着ていました。みんな同じ服でした。背中に肩だすきにして、毛布のような寝具を背負っていました。何百人もがダラダラダラダラと歩いていたのを覚えています。

私の家の横をトロッコの軌道が通っていましたので、トロッコを押して上にあげるのにちょっと待ち時間があるときに、中国人が隠れてこっそり庭に入って来て、水を飲みたいというので水を飲ませてあげていました。おばあさんはじやがいもを焼いてあげたりしていました。

中国人は気の毒なほどやせていました。中国人は1台のトロッコを4人位で押していましたが、使う人は島田組の日本人で、こん棒をもっていました。

私の家では親切にしてあげていたので、戦後は中国人が酒を飲もうとお酒をもってきてくれたりしました。
ふいに進駐軍がきて、トラックで帰って行きました。うれしかったのでしょう、トラックの上でワイワイワイワイいっていました。
収容所の監視をしていた警察官は、私の家に泊っていました。
私は当時20歳でした。