中国人受難者・遺族の証言 郭克明

≪ 郭克明(1919年生まれ 2004年死去)

日本に行って2カ月ほどたったある夜、空腹と重労働に耐えきれず、私は王金貴とふたりで逃げました。船を降りた下関まで、汽車で逃げるつもりでした。

ひと晩中、西の方に道路を走り続けました。夜明けごろ、広島の町からあまり遠くないところで山に入り、柴草の中に隠れて夕方まで眠りました。のどが渇き、お腹も減ったので、サツマイモを掘って食べました。熟していない柿も食べました。また道路に出て、しばらく走り、広島の町に着いたところで警察に捕まりました。

警察が電話をすると、まもなくトラックが来ました。トラックには、数人の現場監督と警察が乗っていました。私たち2人はトラックに乗せられ、その場で制裁を受けました。

監督は、私たちの両手の指の間に細い竹をはさんで、力いっぱい手を握りしめました。あまりの痛さに頭から汗が流れ落ちました。それから、太い棒を敷き詰めたトラックの荷台に私たちを正座させ、戻る道中で、火のついたタバコを背中に入れました。6~7カ所に水ぶくれができ、今も痕が残っています。

私たちは加計署に連れて行かれ、18日間拘留されて、厳しい取り調べを受けました。

釈放されてから、私たちは、第1中隊(坪野)の収容所の広場に連れて行かれました。広場には全部の中隊の中国人が集められていました。日本人が見張る中で、大隊長が命令をして、中国人に私と王金貴を殴らせました。

私たちは四つんばいにさせられ、2人ずつに押えられて、太いこん棒で腿を殴られました。私は3回殴られて気を失いましたが、10回以上殴られたとあとから聞きました。それから、見せしめのために、広場を引き回されたそうです。